笑っていいとも!終了~フジテレビの功罪~


2014年3月31日、惜しまれつつも笑っていいとも!が終了した

13年10月に笑福亭鶴瓶師匠がいいとも!エンディングでタモリさんと終了の案内をしてから半年。
予定通りと言えば予定通りに笑っていいともが、2014年3月31日に大団円を迎えた。
31日は、お昼12時からの番組最終回を終え、夜には大エンディングとして、20時~23時10分までの特大番組を放映し歴代レギュラーを迎えての最終回を放映した。

タモリさんの功績をたたえる意味もあり、大物コメディアンも続々登場

中でも驚きだったのは、まず共演することがない当いわれ続けたお笑い東の横綱のとんねるずと西の横綱ダウンタウンが同じステージに立ち、そして松本人志、石橋貴明が、巧妙なトークで笑いを誘っていた。
明石家さんまさんとタモリさんの往年を思い出すような2人のトークが長引き、そこに対してダウンタウンとウッチャンナンチャンが、長いとクレームを付けに行く。
そして、ダウンタウンらを交えてさんまさんタモリさんと掛け合いをしている最中に、次にとんねるずが登場する。
一瞬どよめきが起きたのち、同じステージに東西の横綱と言えるお笑いの大御所2組が立ち並び、そして、決してお互いに交えることがなかった会話を2つのコンビが話し始める。
石橋貴明さんが【松本(ダウンタウン)がネットで荒れるっていうからっ】と、ダウンタウン松本人志さんに投げかければ松本さんは【だから、とんねるずが来たらネットが荒れるから】と、またボケる。
お互いまんざらでもないようで、そして、まったく交流がないといわれているがステージ裏で挨拶をする程度にはもともとコミュニケーションはあったのではないだろうか。
そして、お互いの相方である浜田さんと木梨さんは自由奔放にステージを駆け回るといった掛け合いだった。
この何年にもわたり東西お笑いの大御所といわれた2つのコンビが同一ステージに立てたのもタモリさんの人徳というか、この番組の偉大さを物語っているようだった。

さて、内容はさることながら、この笑っていいとも!の終了がこの先の日本にどのような影響があるのだろうか、はたまた全く影響はないのだろうか。
そのあたりを自分なりに考えてみた。

いいともの功罪_001

職場のお昼のシーンは大きく変わる?!

エンディングでレギュラーの誰かが言っていたが、笑っていいとも!という番組は、見たくて見るというより、どこにいてもその時間になればタモリさんが中心になり、音が聞こえなくてもなんとなくいつも同じようなことをやっていた。そういう存在だった。
職場ではそのシチュエーションが思い切りはまり込む。
お昼ご飯の時間、毎日タモリさんが出てきてなんとなくくだらない面白いことをやっている。
家に帰って思い出そうにもあまりにもどうでもいいことなので思い出せない。
そんな存在だ。また、コーナーも5~10分単位なので、途中から見ても、途中で見るのをやめても支障がない。実は非常にバランスが取れたお昼休みにぴったりの番組だ。
このお昼休みの番組がなくなることで、どうなるかというと、最初のうちは、いいとも!ユーザだった人にしてみれば、何を見ればいいのかわからない。
どのチャンネルもよくにたバラエティ番組だが、今まで見たことがないからどうすればいいのかわからないのだ。
4/1からは、フジテレビも新番組になるわけだが、バラエティだが情報番組という位置づけのようでなんだか微妙な様相だ。
そして、フジを観ようとするユーザにしてみれば、いいとも!の後番組というイメージが強く確実に”比較”するのだ。
その点を意識した番組作りをしない事には視聴者をなくすことにつながるのだ。

お茶の間のシーンは

主婦層が見る、お茶の間でのシーン。
もともといいとも離れがささやかれていたが、おそらく離れていたのは主婦層が中心のお茶の間だろう。
自宅でお昼を過ごす方にとっては、ゆっくりテレビを見る環境にあるといえるので、深みのある番組のほうが好まれたのだろう。
なので、お茶の間のシーンとしては混乱はあまりないのではないかと感じた。

社会的な現象は起きるのか

笑っていいとも!が終了することによる社会的影響はあるのかないのか。
スポンサーとテレビ局以外での影響を考えてみた。
これは、32年間毎日当たり前のように配信し続けてきた番組が終了することで、ある種の違和感が出るのは間違いない。
もっといえば、月~金は生放送、日曜日午前は増刊号という、編集した番組を2時間も放映していた。
要は、1週間のうち6日間笑っていいともがあったのだ。
これがなくなる影響が小さかろうはずがない。

違和感はなんとなく心の喪失感につながりかねない。
なんだかしっくりこないことが自分の居場所のなさにつながり、なんとなく下向きの気持ちになる方も出てこよう。
なんとなく、しっくりこないことが遠因でミスをする方も出てこよう。

端的に言えば百害あって一利なしの現象が起きてもおかしくない。

終了を防ぐことはできなかったのか

たとえば司会者の変更という方法でタモリさんは引退、長年レギュラーを務めてきた方から司会者をだし、新生笑っていいとも!という方法は考えられないこともない。
しかし、これは、名前だけがいいとも!であり、本来のいいともではないのだ。
なぜなら、この番組は【森田一義アワー】だからだ。
たとえ中身が同じでも、森田一義=タモリさんが居なければいいとも!はいいとも!ではないのだ。
そうであれば辞めてしまう方がよほど良いだろう。

続けることはできたのか

もちろんテレビ局側、タモリさん、いろいろな葛藤もあっただろう。
続けるという選択肢はもちろんあったと思う。
しかし先述の通り、笑っていいとも!は、あくまで名前だけのものであり、番組の骨子は【森田一義アワー】であることからも、いつか必ず終了するのだ。タモリさんもいつかは”いなくなる時”が来るわけだ。
では、辞するタイミングという話にしかなっていかない。それが今回たまたま、2014年3月31日がベストという結論に至ったということなのだ。
8054回の放映ということを考えれば、8000回という区切りであること、1万回の区切りまでにはあと10年くらい続けなければいけないこと、タモリさんの年齢的にそこまでは引っ張れない可能性があることなどを考慮すれば8000回を到達した年度で終了するのは一つのタイミングであるのはほぼ間違いないだろう。

タモリさんのモチベーション

報酬的な面と視聴率的な面でかねてよりいろいろ言われてきた当番組とタモリさん。
もし自分だったら噂が真実であれ虚偽であれ、やる気自体が削がれ、もういっか。。。という気分になったのではないかと思う。
タモリさんもそうだったのかもしれない。(あくまで推測です)

ここ最近は、【そうですね】の掛け合いや、オープニングの歌を歌わない、テレホンショッキングは紹介制ではなくなるなど考えてみればすべては視聴者の批判などから始まり、結果として番組側が折れて修正している感じであった。
なんとなくだが、タモリさんが最も嫌う番組内容の変更のされ方だったのではないか。
結果モチベーションが下がり、続けていくだけの気持ちが萎えたと考えられないこともないのではないだろうか。
それが出たのか、ここ1年ほどで、タモリさんが出てこないコーナーというものができ、その時ももう終了するのではないかと噂になった。
それと前後するようにこの番組の終了劇。本当にそうだったのかもしれない。

日本人にとっての笑っていいとも!

私自身、喜んで見ていたひとりではない。
先述の通り、あって当たり前、タモリがいて当然だと思って、もはや空気や水のような存在だったと思っている。
昨日最終回を迎え、番組が終わり、ごきげんようが始まってもこれで最後だという実感などあろうはずもなかった。
しかし、4月に入り、お昼ご飯を食べるとき、いつも通りフジ系のチャンネルに合わせてもタモリさんが居なかった。
始めて違和感を感じ、後番組など記憶に残るはずもなかろうことを痛感した。

今日それを感じた方は多いとおもう。
新番組の良し悪しなど1回見たくらいでわからないと思うが、笑っていいともではないことが重要で、その違和感を感じた方は多かったはずだ。
今この現象を”タモロス”といわれているそうだ。

時間が解決する

もちろん、経済に影響があるのかどうかなどわかろうはずもないことだが、いずれは風化され、人間はない今の世に慣れ、正常化されていくだろう。
しかし、私が今回の笑っていいとも!終了で感じたことだが、”そこにあること”の意味というのは実に重要だな。ということだ。
人でもものでも番組でも、そしてホームページでも、いつもそこにある(いる)ということの重要さというのは普段感じることがないことなのかもしれない。
毎日家に帰れば家族が”居る”ことの、重要さ、そして有難さは、感じないといけないだろう。


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